消閑の読書記録

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オッペンハイマーを見て考察

今作はノーラン監督の専売特許の1度見ただけでは深く理解できない複雑で難解な作品であったと思います。物語は大まかに分類すると、主人公オッペンハイマー原子爆弾を開発するまでの話、共産党に加担したとしてオッペンハイマー聴聞にかけられている話(カラー)、ストローズが公聴会に参加している話(モノクロ)の3つに分けられる。この3つの話が同時進行で進んでいくため観客は簡単には理解できない。しかしなぜノーラン監督がこのような映画の構成にしたかを考えると納得できるものがあるかもしれない。本来オッペンハイマーの人生を映画で描こうとした場合、起:オッペンハイマーが原爆の開発に成功する 承:オッペンハイマー共産党主義者との関係を疑われ失脚してしまう 転:オッペンハイマーを陥れたストローズが公聴会で悪事を暴露され失脚する 結:オッペンハイマーフェルミ賞を受賞する。このように起承転結そろった物語のお手本のようなストーリーになります。しかしあえてその構成を壊し、同時進行的に物語を進めたのはノーラン監督がオッペンハイマーという人物を観客から英雄視されないように描きたかったのではないかと考えます。上記したようにオッペンハイマー聴聞会とストローズの公聴会は同時進行で描かれています。観客からすればオッペンハイマーは正義(便宜上わかりやすくするため)でストローズは悪という構図が出来上がります。両者はともに糾弾され失脚します。この構図の同時進行は悪が倒されるとともに正義も倒されるという2つの事実を観客に同時に叩きつけます。その後オッペンハイマーフェルミ賞を受賞しますが、観客としてはモヤモヤし、スッキリしない感情が残ると思います。もしこれが時系列順に描かれていたらオッペンハイマーの捲土重来により、観客からはまるでヒーローのように映ったかもしれません。このような構成にしたのはノーラン監督がオッペンハイマーの原爆開発という功績を英雄視させないための仕掛けなのではないかと考えた。